2005年12月15日

引っ越しました♪

「what is my life」
[不登校我が家の場合]カテは、
丸ごとゴロっとこちらに引っ越しました。
過去の出来事ですので、ブログタイトルも一応過去形ってことで。。。
つっても、今もまだ不登校なんだけど・・・いい気分(温泉)
手(パー)
posted by チャマ at 01:00| Comment(32) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月21日

修行中につき?

どーも誤解されている節がある。
私という母親は、「不登校肯定理論」を理解できないのだ、と思われている節がある。
畳み掛けるように
「学校にまつわる胡散臭さ」や
「学校に行きたくない子どもをもっと理解しろ」的なアドバイスや
「学校の不必要さ」や
「アナタとお子さんは別の人格なのよ」的なご教授や
「学歴尊重主義なのだよ、アンタハ」という決め付けや
・・・・・
これでもかこれでもかと、終息することなく私に「不登校肯定理論」を理解させようとする方が、退いては寄せる波のごとく一人来ては去り、また一人来ては去り・・・する。
現実社会でも、ネット社会でも、同じような現象が起こる。

現実社会はラクなんだ。
空間的距離はそのまま疎遠にすることを可能にする。
ところがネット社会ってぇヤツは、瞬時に目的地に行かれてしまうからやっかいだ。
おちおちグチも溢せねぇ・・・
それでもココに生息する自分って、なんなんだろ〜あせあせ(飛び散る汗)


彼(彼女)等が決定的に思い違いをしていることは、私が理解していないのだ、と決め付けていることだ。
私が理解できないのは、そう決め付けるアナタ達、なのだが。。。
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posted by チャマ at 22:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 不登校我が家の場合 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月04日

運動会

2号が不登校を始めて4回目の運動会で、私達家族は初めて運動会に行かなかった。
去年までは2号が運動会に出なくても、長男1号が居たから行っていた。
そんな1号が中学校に入学して、私もおとーさんも「今年は我が家に運動会は無いんだろうなぁ」と思っていた。

運動会が近付くにつれて、中間教室に通う子ども達のほとんどが「運動会の練習だけ登校」をするようになった。
残っているのはウチの2号だけになった。
これには流石の2号も「置いてかれちゃった感」を持ったようだ。
「ヤバイ」「マズイ」「なんだかなぁ〜」なんて感じるのなら、自分が何らかのアクションをするようになるきっかけになるかな?なんて、親としてはこの「置いてかれちゃった感」は「悪くないゾ」と思っていた。
学校の相談室の先生が、毎日のように2号を誘いに来てくれていたらしい。
お約束通り、担任は運動会前日に取ってつけたように来ただけだったけど・・・
彼の中で、何か揺さぶられるものが確かにあった。
でも、「運動会の練習だけ登校」をやめてしまった子どもが出てきて、2号は安心してしまったようだ。
「置いてかれちゃった感」は、すっかりさっぱり影が薄くなってしまった。
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2005年08月18日

不登校 我が家のおかーさんの場合−各種講演会

一端飛んだ「我が家のおかーさん」シリーズですが、よくよく考えたらこの時期いろいろやってたんですよね、私ったら・・・
ということで、3年生@と時期はダブリますが、息子と関係の無いところでのこの時期の出来事です。

PTAの役員をやっていたために、本来は大嫌いな筈の「講演会」なるものに多数出席しました。
不登校の親の会にお邪魔させて頂いたのも、この時期です。
文科省のお役人様が夏休みに同じ学区内の中学校に「研究会」という名目でいらっしゃるということで、クソ暑い中行ってみたりしました。
コノ頃辺りから行政が不登校へのサポートに力を入れ初め、各種ご相談会やら親の会やらが増え、不登校を語る会なんてのも始まったりして、そしてその基盤作りに関わっていたのが、私がしばらくお邪魔していた親の会の主催者というか、代表者というか、ご本人は「この会にはそういう人間はいないのよ」とおっしゃっていましたが、書類上であれなんであれ、まとめ役をしていた方とそのお取り巻きだったと漏れ聞いております。
そしてそのまとめ役氏がご自身のお子さんが不登校をしていた時に傾倒されていた、そして今でも支持され、たまぁ〜に首都トーキョーまで行っていらっしゃるらしい、母体と申しましょうか、勉強をされた場所と申しましょうか、その団体の代表者氏が講演会をされたのもこの頃だったでしょうか。

単位PTAなり連合PTAなりが主催した講演会や、行政が音頭を取って地域の主たる団体の女性ばかりが実行委員に名を連ねる講演会や、とにかく一生分の講演会に行った気がします。
食育、親学、カウンセラーの講演×2回、精神科医によるナニが言いたいのか良く判らなかったもの、登校拒否&家庭内暴力の息子とアフリカを放浪したオトーサンの話、車椅子の女性の話、スクールカウンセラーの話・・・当然PTAとはナンゾヤもありましたね。
車椅子の女性とスクールカウンセラーの講演は、途中退席しました。
言ってることとやってること違いすぎ!でしたし、スクールカウンセラーのお話は「その理論はチョット古いなぁ〜」ってものでしたしね。
(ああ、そうか、私はカウンセラーという肩書きの人とは4人と会ってたんだ。
このスクールカウンセラーもおかしなおばちゃんだったけど、すっかり忘れてたし。。。)
おもしろかったのは、アフリカを放浪したオトーサンの話と、親学についての講演会でした。
それにしても、講演会の講師って女性が多いんですね。
でも、女性の講師ってナニが言いたいのか判らないんです。私・・・バカですんまそん。
それに、突っ込みたくなるところ、有り過ぎでしたね。
「なんじゃそりゃ」、と・・・「矛盾だらけのこと言ってるんすけどぉ」、と・・・
実際に講演終了後の質問コーナーで突っ込んだ時もありましたっけ。
その答えすら「ナニが言いたいのか判らない」モノでしたけど。
あ、それは私が書いているコレも同じですね。
こうして改めて文字にしてみると、自分の矛盾した考えがよく判ります。
その一つ一つを改善したり改良したり廃棄したりしながら、繋ぎあわせて行く作業が必要です。
高いお金を頂いて講師をするのであれば、そうした矛盾を無くしてから、せめて気付いた上で講演して欲しいと思います。
こちとら動員かけられて足運んでるんすから!


同じことを当地の不登校の親の会にも言いたいですね。
「学校になんて行かなくてもいいのよ。」とおっしゃった返す口で、「○○さんのお子さん、短大合格されたんですって?よかったねぇ〜」
・・・・・ナニソレ?
そして毎度、学校や担任は社会はサポート施設への悪口大会です。
挙句の果ては夫や姑、更には義妹家族までその毒牙のエジキです。あ、毒舌か?
「ここはそういう場所なのよ」とおっしゃるその場にいて、正直凹みます。
人間ってlalala〜って思いました。
思い通りにならないことは、何でも悪いんかい?って。。。
「あなたもそうなりなさい」と言わんばかりの圧力は苦痛以外の何ものでもありませんでした。
そこの古株の皆さんは、トーキョーにあると言う某団体によくお勉強に行かれるのだそうで、何度か誘われたような気もしますが、あえて団体名は書きません。
関係者の方達に言わせると、そういった地方の親の会の主催者が勝手にやっていることなのだそうですから、その有名団体様には関係の無いことのようですのでね。
その親の会で動員されて行った、その有名団体代表者氏の講演会では、当地の親の会と同じことをおっしゃっていたのですけどね。
「学校なんて行かなくても良い。学校が悪いのだ、社会が悪いのだ。」
そしてその同じ口で
「学校なんて行かなくても、こんなに立派になった子どもがいるのよ。」
それをダメ押しするように、私の隣りでは親の会のまとめ役氏が「もっと立派になった」(俗に言うところの社会的地位が高い?勝ち組み?)不登校経験者の話をして下さいました。
丁重なダメ押し、ありがとうございました。
お陰様で思い切りアレルゲンになって下さいました。

文科省のお役人様の研究会には驚いて口がアングリでした。
なんかのグラフを指しながら、「不登校の数は年々減ってはいますが・・・」
はぁ?増えてるんすけど?・・・これは爆弾発言でしたねぇ〜。
これには「不登校」とカウントされる条件にカラクリがあります。
保健室登校であっても、心の相談室登校であっても、それは不登校ではないんですね。
「校門くぐりゃみな登校」という恐るべきお役所仕事です。
子どもにナニが正しいのかということを周りの人間が言葉掛けし続けることが大切です、なんてことを言っていたような気がします。
「心に響かないのに回りの人間から何度も何度も言われたって、子どもになんて伝わらない。余計に耳を傾けなくなるだけじゃないのか」
なんてことを、最後の質問コーナーで言った記憶があります。
「誰の言葉が心の琴線に届くか判らないからこそ、周りの人間が総力をあげて言葉をかける、ということです。」
だそうです。

私だったら「ウザッテェ〜!」と逃げ出してしまいそうですけどね、小学生のお子さんをお持ちだという彼は、お仕事ばかりでお子さんのことなんてご存知無いんでしょう。
それともそんなエリート階級のご家庭のお子さんは、周りの大人に対して気持ち悪いくらい従順なんでしょうか?
ウチは貧乏所帯なので、判りませんが。

あと、行政が行なっている「巡回相談」なるものに行くようにとも何度も言われました。
どんな方が相談員なのか知りませんが、何回か相談に行っても同じ相談員さんとは限らないのだそうです。
1回の相談も短時間で、それでいったいナニが判るのでしょうか?
「なかなか時間が合わなくテェ〜」とか言いながら、行ったことはありません。
胡散臭過ぎます。
大体最初に聞かれることは予想できますね。
「朝は何時に起きますか?朝食はちゃんと食べますか?夜は何時に寝ますか?ゲームは好きですか?学校以外で同年齢のお子さんと接する機会はありますか・・・・・」
ハイハイ、うんざりです。
あ、これはスクールカウンセラーにも同じことを聞かれましたっけねぇ。
そんな情報くらい、相談室の先生からもらっとけよ!
担任が変わるたび、相談室の先生が変わるたび、行く場所が変わるたび、
いちいち同じ質問してくんなぁ〜!!!
連携してくれ、引継ぎしてくれ、そのくらいはさぁ!!!



なんでこう、世の中は不登校と言うと「対学校」との問題しか捉えないんでしょう?
そのクセ「朝ご飯は・・・」ってなんざんしょ?
親も教師も、普段の生活の中で例えば「これは個性と言うにはあまりに我が強すぎる」なんてことは不登校という煙にまかれて見えないんでしょうか?
そんな人間は生きて行くために、どうしなくちゃいけないんでしょ?
あまり好意的に受け止められないだろう個性をそのままにするのであれば、居心地の悪さを覚悟しなくちゃいけないんじゃないんでしょうか。居場所だって少なくて当然なんじゃないんでしょうか。
その覚悟が出来ないのであれば、例え少しでも好意的に受け止めてもらえるように、自分自身を変えなくてはならないんじゃないんでしょうか。
「不登校」という立場ばかりが先行してしまって、そこに立っている筈の人間が隠れちゃってはいないでしょうか。
講演会嫌いの私にとっては一生分の講演会に、1年そこそこの間に行ってしまいましたけど、どこを見回しても所詮不登校は学校問題であって、個人の問題じゃないんだなぁ、なんて思いました。
学校のための学校、学校のための不登校解決、なんだなぁって・・・
posted by チャマ at 23:14| Comment(14) | TrackBack(0) | 不登校我が家の場合 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月15日

不登校 我が家のおかーさんの場合−3年生−@

「不登校 我が家のおかーさん」シリーズは、1年生から一気に3年生に飛びます。
なぜかと言うと、2年生の一年間、ウチの不登校息子2号は学校に、それも相談教室じゃなくて、自分の所属していたクラスの教室に行っていたのです。
担任にも、クラスメートにも、「ダメダこりゃぁ〜」というあきらめの境地に達したようでした。
勉強が遅れることも、気になっていたようでした。
そういう働きかけを私たち親と相談教室の先生で行ないました。

2年生の一年間は、音楽会も運動会も社会見学も遠足も、行事は全て出ることができました。
多分に「いつ『やらない!』って言われるか判らないから」という担任の深読みが目につきまして、親としては確かに「はぁ〜?」って思いましたけど、まぁそれもまた息子自身で巻いた種ですから甘んじて受けるべきだと思いました。
世の中では「信用」が大切なのだと学ぶ、良い機会でありました。

実はこの年度は、長男1号(当時5年生)のクラスでチョットした問題が起こりました。
詳しいことは書けませんが、1号の担任に関する問題です。
担任がナニカやらかした、というのではなくて、そのまま持ち上がって頂こう、ということなんです。
本来ならばゼッタイに通る筈のない要求だったのですが、年度末の先生方の移動の発表の席で、なんと私たちの要求が通ってしまったのですね。
そしてその結果、2号の産代教員である担任(正確には担任代理)は、臨時職員の人数枠から漏れて、退職することになってしまいました。
ご愁傷様です。
とは言え、他の臨時職員の先生方はそのままでしたから、選別の基準はその人の能力なのだと、私は勝手に思っております。
前年度に一度は「クビ!」を宣言された方ですから、当然と言えば当然でしょう。
私個人としては、1号の担任継続に対しての働きかけはしましたが、2号の担任降板に対しての働きかけはしておりませんのです。
逆に、こんな阿呆が世の中にはゴマンと居るのだと、そしてその対処法を学ぶ良い機会じゃないかなんて思っていたのですけどね。


PTA役員=来賓として入学式に出席した時、真っ先に目で探したのは誰でもない、2号の新しい担任です。
発見した時、正直驚きました。
第一印象=エンピツくん?
ヒョロヒョロっとして、色白で、メガネをかけて、ツンツン頭の若い男性の新任の先生。
「オイオイ、あのクラスだぜぇ〜。エンピツくんで大丈夫なのかぁ?」なんて思ってしまいました。

ところがところが、このエンピツくん・・・いや失礼、マサオ先生は見た目とは全然違っていることが判明しました。
2号が目を輝かせて私に言うんですね。
「あの先生はイイ!悪いことはバシッっと怒ってくれるんだよ!」と。
ところが今時の子ども達です。それも今までず〜〜〜っと野放しにされてきた、誉め殺し飼い殺しされてきた子ども達です。
多少バシッっと叱られても、屁でもないようです。
2号にとっては相当恐い怒り方だと感じた時でも、多くの子ども達はあまりビビらないらしいです。
本当はビビっているのかもしれませんが、平気な様子を取り繕っていたりするのでしょうか、見た目にはあまり懲りた様子が見られないのだそうです。
ところがそんな子ども達の中に、朝になると「学校に行きたくない」と言い出す子どもが居ました。
授業参観じゃない時に教室にチョクチョクお邪魔していた一保護者としては、そりゃアンタの子どもが悪過ぎですからぁ〜、怒鳴られて当然!って思うんですけど、親はそうは思わないんですね。

困ったことに、若い先生と見るや子ども達だけじゃなく、親までその先生を舐めてかかります。
そして例え子どもや親の側に否があっても、学校としてはそんな子どもに対して「不登校にならないで問題を解決する方法」を担任に要求します。
まぁ、それをクリアーするのも先生としての能力の一つ、と言えなくもないのですが、それを差し引いてもヒドイ勘違いの子ども&親は本当にヒドイしスゴイ!
???もしかして、それって私が学校で言われていることかもしれませんが・・・

1学期も後半になってくると、マサオ先生は怒鳴ることを少し控え、なんとかポストとか作ってみたり、話し合いの時間を作ってみたり、自分で考えるのか先輩先生からご教授いただくのか知りませんが、怒鳴る以外の方法をいろいろやったりしました。
そして教室も、以前の担任の時よりはず〜〜っとも落ち着いたクラスになったのですが、少なくとも給食を歩きながら食べるような子どもは居なくなったのですが、先生の居ないところでのイジワル等が再会し始めました。
困ったことに、マサオ先生に怒鳴られるストレスがそういった陰での行動を助長させる結果にもなっていたようです。
なんとかポストにはクラスの誰かにお願いしたいことを書くのですが、陰で暗躍している子どもはそのポストすら悪用して、やられてもいないことを「○○クンにこんなことをされました。止めてください」なんて書くのです。ウチの2号ももらってきましたね。言われのないことを書かれたお手紙を。悪知恵が回ることに、微妙に筆跡なんて変えているんですけどね、判りますって、そんなモン。

(結局、親が学校で自分がなにをしているかなんて全然知らないんだってことを一番良く知っているのは子ども達自身なんですよね。
そして自分に都合の悪いことであっても、「親にチクれば先生なんて学校なんてどーにでもなる」って知っているのも、子ども達なんですよね。親が学校に怒鳴り込みますから。
学校がそんな親の圧力に屈しないでいる場合、その子は不登校になってしまう時があります。
不登校の中には、確実にそんな大バカ野郎な不登校も存在します。
そういう不登校の子どもは、例えフリースクールだろうが中間教室だろうが、居場所なんて見付けられっこないのですけどね。)


そして2号はまたまたまた、学校に行かなくなりました。
あきらめの境地でクラスに戻り、ところが担任が変わって希望を持ってしまい、その希望が打ち壊されてしまったからなのか、それとも以前よりももっと陰湿になった特定複数のクラスの子ども達に耐え切れなかったのか、いずれにしても学校に行かなくなりました。

多分私がどこか残留物のように思っていたものとは、2号自身の問題解決がなされていないことに、薄々気付いていたことなのかなって思います。
私は彼の気持ちの上での解決は「あきらめること」を理解してもらうことで解決していたのかもしれませんが、彼の持っている性質故の生き辛さみたいなものは、全く解決していなかったんですよね。
もう少し年齢が大きければ、もしかしたら気持ちの上での解決ができたことで後は自分で上手く生き延びる方法を見つけたのかもしれません。
彼に一番最初に必要だったのは、その方法を伝授することじゃなくて、その方法を見つけ出す力をつけてやることなんだと、息子がまたまたまた不登校になってやっと判ったバカ親でした。



不登校 我が家のおかーさんの場合−3年生−A に続く
posted by チャマ at 00:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 不登校我が家の場合 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月16日

不登校 我が家のおかーさんの場合−1年生B−

学校との話し合いの後、我が家は本当に「学校なんてどうでも良い」という状態だった。
今思っても、おとーさんも私もこの時はまだ「学校に行く・行かないこと」でしか不登校ということを考えていなかった。本当はもっと別のところが問題なのにね。
タダ一人、実家の母だけはず〜〜っと「それじゃだめだ!」と言い続けていたんだけど、それが私には「ナニがなんでも学校に行かせろ」と言われているとしか受け止められなくて、電話をする度にケンカをしていた。そうじゃなかったのにね。

心の相談室のタカオ先生はとても温和な先生で、2号にとってはとても居心地の良い場所が心の相談室だったんだと思う。
私達としてはチョットくらいは勉強もして欲しいなぁって思っていたんだけど、タカオ先生は「勉強はいつからでも出来るからサ」という方針で、「それよりも彼には出来るようにならなければならないことがある。」とも言っていた。
今、それがとても良く判る。

ところがタカオ先生が2学期いっぱいで辞めることになってしまった。
家庭の事情だから仕方ないのだけれど、2号がとても心を開いていて私には頼りになる存在だったから、かなりショックだった。
どうも以前から校長とウマが合わないんじゃないのかなぁ〜なんていうカンジもあったんだけど、2学期もあと2日、なんて時に言われても困るよぉ〜。
とは言え、そんなことを言っていても仕方ない。

3学期に入って、新しくリカ先生が心の相談室に来た。
幼稚園のお子さんを持つまだ若い女性の先生で、山椒は小粒でピリリと辛いってカンジ。
リカ先生は「自分の子ども」のような目で2号を見てくれた。
この頃私達夫婦は、2号に「あきらめよう」ということを言っていた。
動物園以下のクラスにも、頭悪い担任にも、あきらめようよ、って言っていた。
そんな人たちは日々着々と勉強している。2号はひらがなすら怪しいのに、ヤツラは毎日教室で漢字を覚えている。それって損してないかい?
なんで真っ当な意見を持つ者が損をしなくてはいけないんだろうか?
給食を食べ歩いたり、弱い子にイジワルするような、でも毎日教室に行かれる人間が学校教育を受けることが出来て、人間として真っ当な意識を持つ、でもだからこそ教室に行かれない人間が学校教育を受けられないなんて、そんなおかしな話があるだろうか!じゃあ、どうすればいい?
クラスの子ども達が、担任が、正常になれば2号は教室に行くだろうか?
すでにそんな段階は過ぎ去っていて、例え教室が彼の理想郷になったとしても2号は行かれないだろう。第一、そんな理想郷だってどんなモノなのか判らなくなっていた。

だとしたら、これが現実と認めてあきらめるしかない。そんな中でも自分が損をせずに生き抜いていかなくてはならないんじゃないだろうか。
だから「あきらめよう」なんだ。
2号が損をしないようにするには、あきらめることが必要なんだと思った。

そしてリカ先生も賛同してくれて、心の相談室で漢字の勉強を始めるようになった。
タカオ先生に貼りつくようにしてたレイちゃんはクラスに戻ったので、心の相談室は2号専用の教室のようになってしまっていたから、それこそマンツーマンで毎日数個ずつ。
そしてそれが自身に繋がったのか、リカ先生が怖かったのか?、3学期の終わり頃には2号は教室に戻った。

そんな裏では、担任をめぐって大変なことになっていたらしい。
なんでそんなことを知っているかと言うと、それは私がPTAの役員をすることになったから。
不登校児童の親が役員っていうのもおかしな話なんだけど、私の子どもは2号だけじゃない。
1号の学年で、丁度私たちの住む地区がお当番で回ってきた。
2号の時は確かPTA会長が回ってくる筈なんだ。
ウチはこれまで何もやっていない。これは非常にマズイ状態。
だけど私が役員を引き受ければ1号・2号共に中学校卒業まで何もやらなくて良い、ということだったので、受けることにした。
だって、どうせ働けないしねぇ。時間があるウチにヤッチャェ〜って訳です。
これまで学校とは敵対してきた私が、今度は学校と協力してお仕事をすることになった。
残念なことに校長は転任してしまった。なんだ、もっと言いたいこと言ってやろうと思ってたのになぁ。
そんな訳で、先生サイドの情報も入ってくるようになって、いろいろな裏事情を知ることになった。

2学期の学校との話し合いのあと、私は一切学校や担任への抗議を止めた。
だって、意味ないし。
ウマの耳に念仏ヨロシク、聞く耳を持っていないんだから。いつまでも人間の言葉が判らないウマを相手にするほど私は暇じゃないのだ。
ところがナニがあったのか知らないけど、校長が2号の担任に「このままでは担任を降りてもらう」と言ったのだそうだ。
というか、所詮は産休代理の臨時講師なので、事実上のクビ宣言ということになるのだろうか。
教頭が「チャンスを与えましょう」と助言し、3学期には2号のクラスはムチャクチャな時間を学活(要するに道徳ね)に割いたらしい。
で、なんとか踏ん張ってクビにはならなかったけど、結局翌年臨時採用枠(人数)が狭くなって辞めていった。実はこれにも私が思わぬところで関わっている。アハハ・・・
私達夫婦との話合いでは「担任擁護」だった校長も、愛想を尽かしたということか。

そして同じ話し合いの席にいた隣りのクラスのベテラン先生が転任される時、私に言った。
「おかあさん、辛かったでしょ。彼が私のクラスだったら、ゼッタイにリーダーになって皆を引っ張っていくような子だと思う。私達もなんとかあの先生には変わってもらおうってがんばったんだけどダメだった。本当にゴメンナサイ。」
この時、もう一人の隣りのクラスの先生もいたんだけど、ウンウンって頷いていた。
私はてっきり敵ばかりだと思っていた学校に、私達の知らないところでなんとかしようと動いてくれていた人たちがいたんだと思ったら、周りも気にせず号泣してしまった。

先生という生き物は、全く以って信じられない。
どんなにすばらしいと言われる先生だって、裏と表の顔を持っていると私は思っている。
子どものために、という顔と、教員という職業・学校という職場に身を置く者として、という顔。
先生と呼ばれる程のバカでなし、なんて言葉もある。(おっと、先生と呼ばれる方には失礼ゴメン!)
教頭だって転任した学年担任だって、実際のところを決して知り得ない私にはナントでも言えるだろう。
でも、いいの。
先生達が私にしてくれた話がウソでもなんでも、それで「ザマァ〜ミロ」「バァ〜〜〜〜カ」って思えるから。
それできれいサッパリ私の人生からアイツが消え去ってくれるから。
2号の不登校の原因を「担任のせい・学校のせい」なんていう不毛な考えをしなくて済むから。

とりあえず教室に戻って、フツーに登校していた2年生の2号。
終焉を迎えたかに思えた2号の不登校だったけど、なんかひっかるものが残っているような気がしていた。
そして残留物は原発の残留物のようにとっても厄介なモノとなって、3年生になった2号はまたまたまた「行かない!」と言い出した。
posted by チャマ at 17:26| Comment(2) | TrackBack(0) | 不登校我が家の場合 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月30日

近況-2005.5.30-

GW中、大好きで尊敬していてチョット怖い若き2軍コーチに思い切り背中を押された2号。
「野球が上手くなりたかったら、イヤダ〜ってことから逃げないこと、腐らないこと。それは生活の中でも同じなんだゾ。嫌いな練習をしないでオマエの目標に手は届くのか?腐って人のせいにすることが、本当に自分のためになるのか?」

以前の練習試合でケチョンケチョンにやっつけられて、罵声を浴びて、自信喪失して、腐って半べそでマウンドを降りたこと。上手く行かなかったことを全て人のせいにしたこと。
そんなことに対してコーチが2号に言ったこと。
あらヤダ、私達夫婦がいつも言ってるのと同じこと言ってるぅ〜〜〜♪
コーチは野球を見て、私達は2号の生活っぷりを見て、同じことを2号に思っていたのね・・・

そうなんだ、確かなことはタダ一つ。
2号が楽しい人生を送るために足りなかったことは、「学校に行く」なんてことじゃない。
コーチの言葉の通り、そのまんま、だったから、それがそのまま野球というスポーツにマイナス面として反映されてしまっていた。
野球に限らず、スポーツってモンはホント正直だと思うんだぁ。

コーチには誰が登校してる子で、誰が不登校してる子か、なんてことは関係ない。
野球が上手くなりたい2号がいる。その手助けをするためにコーチがいる。
ただ、それだけ。
私達夫婦は、勝手に「有り難やぁ〜、有り難やぁ〜」と思ったのでした。

そして2号は2号なりに考えたのだろう。ナニセ今が大好き度ピークのコーチが言うんだから、飽き飽きしているとーちゃん・かーちゃんが言うのとは同じことでも受け止め方が全然違うのサ。
GW明けにポツリと「学校に行ってみようかなぁ〜」と言った。
そんな訳で、今月の2号は学校に行ったり中間教室に行ったりどこにも行かずに休んだり、自分なりにいろいろと考えながらやっている。
私に対する接し方も、いままで通りの「かぁちゃんの温もりが必要なのさぁ〜」って時もあれば、イッチョ前に「かぁちゃんウルセェよ」って時もあって、私という母親が2号にとって「オレを守ってくれる存在」から「オレ守ってやる存在」へと加速度を増して比重が変わってきている。
この変化は、正真正銘GWからこっち、顕著に見られるようになった。
たかが少年野球のコーチ、されど流石コーチ、なんだよなぁ・・・


2号にとっては学校に行くことよりも行かないことよりも、もっともっとずーっと大切なことは野球が上手くなることなのだから、そりゃどんな登校支援よりも不登校支援よりも、ずっとも自分のことを真剣に考える。
普段使わない「思考」なんて機能?能力?を使うものだから、真剣に考えているらしい時には、あまりにも疲れて?そのまま寝ちゃってる。
ヨダレをダラダラ垂らしながら・・・(〜〜;)
彼が言うには、「ホント、疲れるんだ」そうだ。判るなぁ〜・・・
でもいいじゃない、たまにはさぁ。
そろそろ自分を、自分の人生を、正面切って逃げずに真剣に考えてみるお年頃ってもんじゃない?
そろそろ「オレは悪くない」から卒業するのも悪くないと思うよ。

登校支援にしろ不登校支援にしろ、そういう事は時と場合と状態と状況を考えて使い分けるべきだと思う。
登園拒否や不登校になったばかりの2号にこんなことを言っても、それこそ「死ね!」と言っているのと同じだっただろう。
野球に対してこれ程の熱意がなければ、コーチの言葉もこれ程心の琴線に触れることはなかったかもしれない。
一方で、2号が野球以外の自分の生活?人生?に対して「今のままじゃイヤだ!」という気持ちがこれっポッチもなかったら、「野球だけのこと」としか受け取らなかっただろう。
心の中がイッパイイッパイの時に、疲れるような思考をすることは追い込むことになるだろう。
でも今の2号にとって、そういう思考は苦しいし疲れるけど楽しい時間でもあるらしい。
そんな頑張っている自分というのを実感できるのも、なんだか嬉しいんじゃないだろうか。

眺めていると、そんなことを思う。

余談だけど、不登校を自ら選んだ(つーことは登校拒否ってことになるのかな?)そんな子ども達はきっとフリースクールという場所なんかで自然発生的に?一生懸命考えたり自立的な体験というか、そんなことをするんじゃなかろうか?
な〜んて、行ったことは無いけれど、聞いた話からはそんなカンジかな?って思う。
でも学校に合わないのと同じように、フリースクールに合わない子どもだって居てもおかしくないんだと思うよ。
そしたらフリースクールからだって逃げちゃえばいいジャン。
「ここに居ないと居場所が無い」って考えることは、「学校に行かなきゃ居場所が無い」って思うことと同じだと思う。
猫みたいに、自分の居心地の良い場所は自分で探すしかないんだと思う。
どうしても無いのなら、それは自分の側のナニカを微調整しなくちゃならないんだろうよ。
人から与えられている限り、見つからないんじゃなかろうか?なんて思う。
自分にウソ偽りなく「ここが居場所だ!」って思えるところがあったなら、それが学校だろうとフリースクールだろうと構わないんじゃないだろうか?
でも自分が見つけたその居場所が、似たような立場に置かれた誰かにも合うって訳じゃない。
それをゴリ押ししたとき、それは学校と同じ存在になってしまうんじゃないのかな?


2号みたいな子どもはフリースクールは逆に辛いんじゃないだろうか、なんて見ていて思う。
だってフリーなんでしょ?一番苦手なんだなぁ、これが・・・
それでもこの先2号が「中間教室にも学校にも行かない!」と言った時には、そして家で「つまらない、つまらない」って言っているのなら、フリースクールに行ってみる価値はあると思う。
彼が「んじゃぁ〜行ってみるかぁ〜」って言ったらの話だけどさぁ。
案外「ココいいじゃん!」って思うかもしれないし、もし「ダメだぁ〜」ってなったら、また別の場所やら方法を探せばいいんじゃないのかな?
自分の中にある問題を解決できたら、それで良いんじゃないのかなぁ?
大切なのは「ドコに行くか」とか「どうするか」という方法じゃなくて、「ナニが問題なのかってことを直視できること」なんだと思う。
イヤ?直視できなくても解決しちゃえばいいのかな?
でもきっと、これも人それぞれに問題意識って違うんだろうなぁ・・・
結局のところ、本当は自分はどうしたいんだい?ってことになっちゃうんだなぁ・・・
「不登校のナニが問題なのさ!」なんつって、問題が不登校としか見えないことに問題があると思うんだけどなぁ。
不登校に拘り過ぎだってぇの。
なんだかいつも同じところに行き着いちゃうんだけど、そう思う。

明日は学校の登山がある。
2号はとっても行く気満々なんだけど、あさってからはどうなるのかは判らない。
今日までは追い風に乗って「イケイケ!」で来た。でもその風はいつ止まるかも知れないし、逆風に変わるかもしれない。
それでも彼は「コーチの言ったこと」を真剣に受け止めて、この一ヶ月アレコレと自分なりに考えて行動したことで、ナニカを掴んだと思う。
それが何よりの収穫だと思う。

いずれにしても、今思っているのは…
あ〜した天気になぁ〜れぇ〜!ってことだネ。
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2005年05月16日

不登校 我が家のおかーさんの場合−1年生A−

息子達がお世話になっている小学校には、子ども達が翌日の予定を書く「連絡帳」とは別に、親が担任に連絡をするための「連絡帳」がある。
他所の学校はどうなんだろうか?
子どもが学校を欠席する時には、電話連絡では基本的には不可で、予め学校に申告している「連絡児童」なる近所の児童に子どもが使う連絡帳を持って行ってもらうことになる。
「欠席します」という連絡は、こちらの「児童用連絡帳」に書く親もいれば、「親専用連絡帳」に記入し「児童用連絡帳」と一緒に持って行ってもらう親もいる。
大抵の親は、我が子のことで何らかの相談なり抗議なりを担任にする時に「親専用連絡帳」を使うようだ。
1号が1年生の時、同じクラスの保護者の中に「担任から教育方針の説明が無い」という理由から5ページに渡る抗議をしたというツワモノがいたけれど、大抵はそんな使われ方をしているようだった。
1号の場合、私はほとんど親専用「連絡帳」を使った記憶がない。
担任から教育方針の説明があろうがなかろうが、子ども達に何らかの支障がなければそんなことは私達にとってはどうでも良いのだ。
実際に2号の時だって、1学期にはほとんど使うこともなかったんだ。
2学期になり、担任が変わり、それまであまり書いたことの無い「親専用連絡帳」を書く機会が滅法増えた。
最初はあまりにも野放しなクラスの様子に、余計なことだとは思ったけれど、その中で両手で耳を抑えて固まっている2号の様子をお知らせし、もうチットばかしなんとかしてはいただけないだろうか、というようなことを書いた。
返事は・・・・・無かった。
イヤイヤ、あるにはあったんだけど、いい加減忘れた頃になって
「忙しくてお返事が遅くなってしまいました。ご連絡ありがとうございました。」
とだけ書かれた返事があったけど・・・正直、この人日本語判らないのかしら?って思った。
でも、他の保護者からも「そういう曖昧な返事が多い」と聞いていたから、そんなもんかなぁ〜なんて思ったりもしたけど、そこには「それでもなんとかしてくれるだろう」なんて期待がまだあった。
でも、そんなことを期待した私がバカでした。

「イヤなことはしなくても良いのよ。」という指導に対して、「そういう理念の元に指導するのは勝手だが、親としては言葉に出して欲しく無い。」という主旨のことを、一応大人として最大限の敬意を払って書いたつもり。今読んでみても、抗議というよりも要望として書いている。
それに対する担任の返答は「これが私の方針だ」ということを延々と書いてきている。
それに対する「後日必ず支障を来たすと思われるのだが、その時責任を取っては頂けるのか」というようなことを再度書く私。
要望は次第に抗議になっていった。
こんなやり取りが数回あったあと、その後パッタリと返事がなくなった。
こういった内容の「ご連絡」に対しては、担任は教頭なり校長なりに見せるのだそうだ。
私の「ご連絡」に対しても、担任はそうしたのだろうと思われる。
私の手元に「連絡帳」さえなければ、こんなウルサイことを書いてこない、とでも思ったのだろうか?それとも学校上層部から「もう返事を書くな」と指導されたのだろうか、いずれにしても、私の手元に「連絡帳」が戻ってくることは、結構長い間なかった。

しばらくしてから「2号くんのこれからについて、皆で考えましょう。」という提案が、学校からされた。『皆で』ということだった。
とりあえず運動会が終わったら、ということだったけど、そうこうしている間に私が恐れていた「後日起こるかもしれない支障」が、「運動会には出ない」という形で表出してしまった。
そのためか、話し合いが行なわれたのは運動会が終わって1ヶ月くらい経ってからだった。
「5時30分に学校集合」ということで、友人の家で子ども達を預かってもらった。
友達は「何時までかかってもいいから、思い切り言いたいことを言ってきな!」と言って送り出してくれた。

学校に着くと、校長室に通されたんだけど、担任だけじゃなくて学年担任2名まで入ってきた。
そこに校長・教頭だから、先生と呼ばれる人たちが5名。そこに私達夫婦。
この時私はまだPTAの役員をやってはいなかったけれど、仕事で学校の施設を借りることがあって、そんなことから当時の教頭先生とは結構話をしたことがあった。
その教頭先生が司会?をやるらしくて、口火を切ったんだけど、その一言には笑ってしまった。
「え〜、今日は5人と2人という人数ですが・・・」と言ったんだ。
「あ、やっぱり5対2なんですね。私は『皆で』と言われたので7人で、だと思っていたんですけど(笑)」
と、かなりイジワルだなぁ〜なんて思いながら言ってみた。
教頭先生は慌てて
「あはは、私の言い方が悪かったですね。もちろん7人で、ですよ(笑)」
でも、ここで校長は笑っていなかったのを知っている。このやりとりはカンに触ったようだ。
ヨコを向いたまま、最後の最後の爆弾発言まで何一つ言わなかった。

教頭先生は「全員で考えましょう。」と言っていたけど、実質的には私達夫婦は一方的に責められることになった。
要するに、団体行動がとれない2号に、そう育ててしまった私達に非がある、ということなのだ。
例えば課題のプリントが早く終わった子どもが、まだやっている大人しそうな子どもの席にまで歩いて行って「こんな問題まだ出来ないのぉ〜。」なんていうことが平気で行なわれているような教室に居たくないという神経を持っていることの方が悪いことということらしい。
学年担任は全部女性の教員で、2号の担任以外は2人共に超ベテランの域。
でもこちらだって、口では負けない!!!
緊迫した女の戦い?!
校長・教頭・ウチのおとーさんの男性3名は、ほとんど何も言わなかったように思う。
そして肝心の担任も・・・攻防戦も2時間を越えて、クラスの現状を訴える私はこんなことを言っていた。
「転校もフリースクールも、海外移住さえも考えましたけど、2号には『クラスの戻りたい』と拒否されました。私達は今のクラスの現状はヒドイものだと思っています。」
それを聞いた校長が冷たく言い放った。
「そんな非現実的なことを言っているからお子さんが学校に来れないんですよ。
お母さんは本気でお子さんを学校に来させようという気があるんですか?」


それまでは結構冷静に応戦していたように思うけど、この一言には頭に来た。
海外移住のどこが非現実的だっつーのさ。そんな例はいくらでもあるじゃんよ。学校なんていう狭い世界しか知らないこの大バカ野郎!
とは流石に思っただけで言わなかったけれど、
「ありますよ。本人もクラスに居ることを望んでいるのですから、私達だってそうしてやりたいです。
なんでしたら、明日から泣き叫ぶ2号を引きずって参りますが、後は学校でお願いできますか?それでよろしいですか?」
と言ってやった。
やれるもんならやってみろ!オーラは全開だったと思う。
すると校長が慌てて
「それは出来ません!困ります。」
ばぁ〜〜〜〜〜か!
お前らにそこまでやる気がねぇ〜んじゃねぇかよ!


学校から提案された「みんなで2号くんのこれからを考えましょう」と銘打って行なわれた話し合いは、案の定、私達への「吊るし上げの会」だった。
でも・・・確かに私と両隣りのクラスのベテラン女性教員とは死闘を繰り広げたけれど、彼女たちの言葉の中には私達に対する、そして2号に対する暖かいものを感じた。校長のソレとは決定的に違うものがあった。
前向きなナニカ、というような気持ちが感じられた。
それを邪魔しているのは「担任擁護」という、学校という教員のための職場に所属する職員に課せられたルール?だったように思う。同僚を庇いなさい、ということなんだろう。
校長や教頭という職場を管理する人たちが目を光らせている場では、あれが精一杯だったのだと思う。


現に、後日彼女たちは2号のために出来る限りのことをしてくれた。
そして私も、この日彼女たちから言われたことをクラスの状態云々を差し引いて、2号にとってナニが良いことなのかと考えてみた時、それは確かにその通りだと思った。
彼女たちは私に「そんなことに負けるようでは、この先2号くんが辛いだけですよ。(確かにクラスは荒れているけれど・・・)」ということを伝えたかったんだ。
でもクラスが荒れているということは、立場上、そして校長の目が光っている以上、口に出すことができなかったのだろう。
この話し合いから半年後、そうだったのだとわかった時、私はこの二人の前で号泣してしまった。
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2005年05月01日

不登校 我が家のおかーさんの場合 −1年生@−

入学式から『学校に行かない!』となるまでの経緯は過去にエントリーした『不登校・・・きっかけ』に書いたその通りだ。

そして私はまたまた学校や担任を敵に回し、大立回りをすることになる。
あまりに野放しなクラスの状況は目に余った。
2号にしてみたら、理想郷を壊されたというような気持ちだったんだろう。
担任に抗議すると「私は誉め殺しですからぁ〜。怒ってばかりではねぇ〜♪」とおっしゃられた。
でも私はその直前にヒステリックに怒鳴っているアナタの姿をコノ目で見たのですが?
そういう都合の悪い言葉は聞こえなくなるらしく、「聞きたくない」オーラをMaxで発しながらクラスの子どもに「気をつけて帰るのよぉ〜」と叫んでいるんだ。
聞く耳もたねぇってかぁ?
ならば、と思い、連絡ノートに書いた
返事は・・・ナシ。
ああそうですかぁ〜、っていうか、やっぱりな。。。

『学校に行かない!』と言い始めて3日後に祖父母参観があった。
アッチの世界とコッチの世界を行ったり来たりしている父を介護している実家の母からは事前に「行かれない」と連絡があったんだけれど、孫の窮地を知ってヘルパーさんに無理を頼み込んで来てくれると言う。ならば、ということで2号も祖父母参観にだけは出ると言った。
そして当日。予定通りに事は済み、実家の母と一緒に2号は帰ってくる筈だったんだけど、帰ってきたのは母一人。
なんでも「担任にナントカっていう教室に連れて行かれた。」のだそうだ。
慌てて学校に行ってみると、「心の相談室」なるところに2号は居た。
まだ出来たてホヤホヤの、イワユル「適応支援教室」というものだそうだ。
そこにはムチャクチャ困ってしまっている2号がいた。
でもそこを任されているおじいちゃん先生はとてもニコヤカで、温和で、このおじいちゃん先生=タカオ先生の娘さんも不登校をしていたそうで、そのせいだかなんだか判らないけど、なんだかホッと出来る場所だった。以前から2号が覚えたいと言っていた囲碁やらマジックやらをタカオ先生は教えてくれた。卓球台なんかもあったりして、リラックスしてきた2号はそこが気に入ったらしい。
先生と話し合った結果、翌日からここに登校することになった。

それを聞いた担任は
「そ〜♪でもね、嫌なことは無理してやらなくてもいいのよぉ〜。」と言いながら、2号の頬をスルリンと撫でた。
私は寒気が走ったけど、それは2号も同じだったらしい。
そしてその「嫌なことはやらなくてもいい」という発言は、私の神経を逆撫でした。
確かにその通りかもしれないけど、それは言葉に出してはいけないのではないだろうか?
そしてそう抗議したが、やっぱり聞く耳は持ち合わせていなかったらしい。
これ見よがしに「嫌なことはやらなくてもいいからねぇ〜」と、私の前で2号に言い続けたんだ。
バカ女!!!


でも結果としてそう言い続けたことで、担任は自分で自分の首を締めることになった。
運動会。
運動神経がズバ抜けている2号は、当然のごとくリレーの選手になった。
つーか、なぜに不登校気味の子どもをリレー選手にするのか私には理解できなかったけど、どうやらそういう事で自信をつけさせようということらしい。
運動会前の1週間、リレーの早朝練習にはりきって行く2号がいた。
ところが運動会前々日になって、「運動会には出ない!」と言い出した。何があったのかは判らないけど、こうなった時の2号は誰にもどうにもできない。
慌てて担任に電話した。担任も慌てふためいて、とりあえず補欠の子が最後の一日だけ練習に行った。
運動会前日、担任は初めて我が家に来て2号を説得していた。
「どーしてぇ〜?運動会楽しいよ〜。折角練習したんだから、出よーよ。」てな具合だ。
私は仕事があったから途中で出かけてしまったけど、おとーさんの話だとかなり長い時間粘っていたらしい。そして
「先生ずっと嫌なことはやらなくていい、って言ってたでしょ。だからボクは明日は出ない。それでいいんでしょ。」という2号の言葉が決め台詞になったらしい。

人の意見というのは、例え耳が痛くても聞いとくもんだなぁ〜、ねぇ、センセ〜。

本来2号が走るはずだったリレーのチームは補欠の子が走り負けてしまった。
一緒に野球をやっている同じチームの4年生から、「オマエが出てくれれば勝てたのに」と言われたらしいけど、そんなこともどこ吹く風の2号だった。

何かがおかしい。私の産んだ、私が育ててきた2号とは違う。人が困っていたりしたら、真っ先に駆け寄っていた2号はもういなくなってしまった。自分が傷つかない代わりに、相手が傷ついても平気な顔をしている・・・こんな子じゃなかった筈だ。
いつからこうなってしまったんだろう・・・どうしてこうなってしまったんだろう・・・
そんな不安は怒りに変わった。
学校という場所が、担任が、クラスの子ども達が、あんな動物園以下のクラスをノビノビしてて良いクラスネェなんて言ってるバカ親達が、2号をこんな子どもにしてしまったんだ!
ふざけるな!って思った。
そしてその怒りを、そのまま学校にぶつけた。
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2005年04月28日

我が家の不登校〜外伝?

少し前に祭りの戦士さんが書いてくださったコメントの一部について少し考えてみた。
似たような意見なのに、なぜお互いのスタンスが違うのだろうか?
考えてみたのは次のコメントから

そういうふうに体制から距離をとるってことは、どっぷり社会に適応してしまっていたらできないと思う。体制がインチキで非人間的だってことを認識するとこからはじまると思うんだ。だからこそ「不適応」ってことに積極的な意義を持たせたい……。なのに大学のセンセーとか社会学者の言い方って、社会への不適応はその人の能力の欠陥に原因がある、みたいな感じがどうも拭えなくって、なんか気にくわないんですよねえ………。

体制がインチキで非人間的だってことは私も認識している。確かに気にくわない。カチン!とくる。
だからこそ2号が登園拒否や不登校になった当初時、保育園や学校や役場という体制を敵に回して大立回りをやらかしたのだから。
そしてそんな私に自分の子どもが置かれている状況を訴えてくる人も何人もいた。
決して「こうして欲しいの!」なんてことは言わないし、「聞いてよ!」なんても言ってこない。
2号の状況を「どう?」なんて聞いてきながら、「ウチなんてさぁ〜」と始まる。
でもって最後は「もし話し合いなんてする時があったら、こんなこともあるって言ってぇ」と言うんだよね・・・
今思えば「自分で言ったらぁ」って思うけど、その当時は私は正義のヒロインにでもなったつもりだったのか「そうだね、言ってみるね!」なんて、すっかり同志を得たような気分で言っていたし、その通りに学校や役場や保育園に訴えたりしていた。
何様になったつもりだったのだろうか、あの時の自分・・・
結局どんなに訴えても体制は何も変わらないのだと判った時、私に訴えてきた人たちは知らん顔を決め込んだ。
なんてーこった・・・久し振りに世の中全部が敵だと思えた。

丁度そんな時、ある人から叱られてしまった。
「アナタが今やるべきことはそんなことではないでしょう?学校や社会を変える暇があったら、2号くんにするべきことがあるんじゃないですか。彼の理解者は家族だけですよ。」と…
そのある人というのが、2号が引き当てたレース観戦の懸賞でお世話になったチームのマネージャーさんだ。そして今でも私はこの人を人生の師匠だと思っている。

ことの詳細はいずれまたサーキットに行こう♪のカテで書くとして、この出来事は私の天地がひっくり返った。脳天にカミナリが落ちたような気がした。
正真正銘、放心状態になってしまった。

私はず〜〜〜〜〜っと正しいことをしてきているものだと思っていたんだ。
2号のため、インチキな体制を正すため、世のため人のため・・・
でも私には世のためよりも人のためよりも、もっと考えなければならないモノがある。
それは家族だ。今はその中で一番辛い思いをしているだろう2号が最優先だ。

いったい私は何をやってきたのだろう・・・
1年数ヶ月もの間、目の前の我が子を見ずに何を見てきたのだろう・・・
その結果、どうなったのだろう・・・
2号の目は相変わらず魚の腐ったような目だった。


そうなんだ、私には世の中がどうなろうと、人がどうなろうと、それ以前に守らなければならない人がいる。幸せにしなければならない人がいる。
最優先にするべきは、自分の家族であって、子ども達なんだ。
インチキで非人間的な体制はいつか変わるかもしれない。でもそんな日が来るのかどうかも判らないし、来たとしてもそれはいつの日か判らない。
そんな日を夢見ているうちに、子ども達は大人になってしまう。
保育園の時「生きていても何も楽しいことなんて無い」って2号は言った。
そのまま大人になってしまう。大人になっても「いつか来るだろうある日」を夢見ながら、楽しい人生が来る日を待ちながら過ごすのだろうか?
それで良い訳が無いじゃないか!

もしかしたら時代が変わる時、反体制の中に私もいるかもしれない。
でもそれをやるのは今じゃない。
私にはそんなことより前にやるべき事がある。

祭りの戦士さんと私のスタンスの違いは、私にこんな経験があるからなのかもしれない。
気持ちは同じです。でも今の私にはそんなことに関わっている余裕がありません。ってことなんだろうと思うんだ。

祭りの戦士さんには全く関係ないけど、ついでに書いてしまう…

私は人生でこれほど的確に自分の過ちを温和な言葉で、大きな心で指摘されたことが無い。
これほど抑圧とか逃避とか合理化とかなんとか言われるいろいろな逃げ道をすっかり塞がれてしまったことも無い。得意の石地蔵にすらなれなかった。
でもそれで良かったと思っている。
今までよりは逞しい人間になれたのだから。
そして本当のやるべき事が判ったのだから。

エライ先生や学者さんたちがナント言おうと今の私には関係無い。
それと同じように、ご当地支部の皆さんや講演会で言われたことも関係無い。
でもそれらは確実に私達に関わってくる人たちに影響を及ぼしている。
それは主人や私や私達を理解して支援してくれる人たちにとってとてもやり難いんだ。
だって、あまりに極端過ぎるものだから。
そしてそれを「正解」として押し付けてくるから。

反体制に反旗を翻した(って程じゃないと思うけど)者を潰しにかかった時、その時点で反体制は体制になってしまう。自分達が変えようとしている体制と全く同じことを自らがしているのだとナゼ気付かない?
エライ先生だって学者さんだって反体制だって、みんな「良かれ」と思っているから、「何とかしたい」と思っているからそうしているのじゃないのかな?方向性の違いってだけじゃないのかな?
自分を認めろと言うならば、人も認めなければならないのじゃないのかな?

私は目の前の自分の子どもが誰よりも大切だ。最優先に考える。それの何が悪いのだろうか?
私が自分の大切なものを放っておいてまで他人を助けるほど人間が出来ていないってだけのことじゃないか。
不登校を認めろと言うのと何が違うのだろうか?
不登校という体制への不適応は認めるけど、反体制への不適応は許せないのだそうだ。
こういう場合の体制と反体制では、何が違うのだろうか?


誰か教えてくれませんか?
posted by チャマ at 01:58| Comment(4) | TrackBack(0) | 不登校我が家の場合 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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